ポスト ネオアコ薔薇の時代 『続 ジョニー・ディーについて書こう』
2018年9月29日東京
その日、Wのライダースにコム・デ・ギャルソンのシャツで颯爽とステージに現れたボーカルの堤田。
開口いちばん、「今日は、ネオアコやりに来ました」
今の音楽シーンでこのセリフを口にして許されるのは 彼くらいのものだろう。決して自虐ネタなんかじゃない。まして内に秘めた使命感なんてあるはずもない。その日集まったオーディエンスが求めているものは何か。彼はそれを熟知していたのだ。ようこそジョニー・ディーの世界へ。
ギターの下田と並ぶとまるで2人組のギャングスタ―のようにカッコいい。僕が抱いていたネオアコ的世界観はまさにこれ!クールでレトロでヒップでキンキー。こういったイメージは往々にして演奏や楽曲そのものよりも重要となる。(これはネオアコを語るうえで欠くことのできない僕の持論のひとつ)
Motorbike Loves You、Goodbye My Favourite Girl、l´m Falling Down Again珠玉のナンバーが次々と披露される。まるで90年代初頭のカムデンにタイムスリップしたような気分。
タイムアウト誌を隅々までチェックし、A to Z を片手にどこへでも出向く。終電なんか気にせず 行き当たりばったりでどうにでもなった自由でちょっと野蛮な時代。SNSでの繋がりはなくても特定のライブハウスやレコード店に行けば自然と仲間が集まった。Me Japanese Boy !Don’t you know Johnny Dee ?
いい意味での予定調和がつづく中、アンコールで彼らが演奏したのはFeltのMy face is on fire。あえて最後にこの曲を放り込んでくるところにロリポップやデボネアと同質のセンスを感じる。彼らはみなアーティストである前にレコードコレクターなのだ。下田の気負いを感じさせない冷ややかなアルペジオはディーバンクそのものだし、堤田のたたずまいは完全にローレンスを再現していた。
ほんと歴史的なステージを間近で観られた幸運に感謝の言葉しかない。
中村さん、奇跡を起こしてくれてありがとう!
Chelsea Girls 広瀬 陽一
『ジョニー・ディーについて僕が知りたい10の事柄』
台風24号(通称チャーミー)が急接近する2018年9月29日 東京、disuques blue-veryの20周年アニバーサリーイベントは大盛況のうちに幕を下ろした。このインタビュー原稿は、その夜 都内某所にて行われた打ち上げの席での堤田氏との対談の一部を抜粋、拡大、補完したものである。フロントマンにして90年代ネオアコ アイコン的存在の堤田氏。ジョニー・ディーファンはもとより、熱心なネオアコ愛好家にはぜひとも読んでいただきたい。
左から鶴田、堤田、下田
@ ライブのアンコールではまさかのFeltのカバー(My face is on fire)を披露されたんですが、この曲を選んだきめ手となったものは何ですか?最後までThe SmithsのHand in gloveとどちらにするか悩んだって?
この陰鬱なナンバーは最初ピローズ&プレイヤーズで聴いてあとで7インチを買ったんです。妥協のないサウンドだしクールですよね。この感じが昨今の日本のグループとか見てていまの心境に合ってるなと。歌詞も”革命とメキシコのブルーな日没を待っていた”ってカッコ良すぎる。またそれを象徴するメキシカンなイントロにニューウェイブ独特の陰りが凝縮されてる。近年 再評価されてるしタイミングもいいかと。Hand in gloveは次の機会があれば是非やりたいですね。
マイブラ ミーツ スミスな一枚
A 僕もFelt大好きなんですが、堤田さんの選ぶFeltのベストアルバムを教えてください。やはり初期ディーバンク時代になりますか?
”毛氈”がベストですね。UKオリジナルではなく日本盤。当時このUK盤に2曲追加されたこの盤を最初に買って聴いてました。曲の流れやトータル感もこの日本盤がいい。このアルバムは当時の思い入れが強いです。よく"Return of the Durutti Column"と合わせて聴いてました。
レーベルを越えてのベスト3曲を教えてください。
フェルトとの出会いは試験勉強で徹夜した朝に「朝のポップス」(ラジオ番組)で聴いた"The world is as soft as race"。この曲がベスト。徹夜明けにやたら清涼感があってそれでいて妙ちきりんな感じに何これ?とすごい衝撃を受けた。次に"Evergreen dazed"、"Penelope tree"。"Mexican bandits"もいい。クリエーションの頃もいいけどチェリーレッド、指摘通りモーリス・ディーバンクがいた頃が好みです。”カスピ”もいいしこの頃の作品はかけがえがない。今となってはレコードすべて処分してしまいましたが。
B それでは次にThe Smithsのベストアルバムとベスト3曲を教えてください。選考にまつわるエピソードもほしいです。
ベストアルバムはファースト。確か渋谷陽一の「サウンドストリート」(ラジオ番組)で"Reel around the fountain"聴いたのが最初。すぐにレコ屋に走って壁に飾ってあった"What difference"の12インチを買った。ベストナンバーは、"What difference"、"Heaven knows"、"This charming man"。思い入れもあるけどこの頃のものはジャケ含めて初期衝動の素晴らしさがある。特に”Heaven knows”はその良さをずっと後に再認識したことがあった。マニラのベッドロックという繁華街に行った時のこと。とあるオープンバーからいきなりジョニーマーのあのギターリフが大音量で流れてきた。かなりインパクトありましたね。だって熱帯雨林系のアジアの雑然とした街にこの蒼くも瑞々しいマンチェスターサウンドなんて大よそ似合わないでしょ?でもあのイントロ、一瞬にしてその場を洗い流すかのような凛としたサウンド。やっぱりすごいなと。あと"How soon is now" 12インチB面の流れがすごく好きですね。スミスのレコードはかなり集めましたよ。"There is a light"のフランス盤発禁スリーブ7インチやロンドンのRecord & Tape Exchangeで買ったStill ill"ブラジルフレキシとか。あと福岡のセブンティーズレコード(移転前)というパンクのレコ屋で売れ残りの7インチ全部買い占めたり。その時にオレンジジュースのファーストも一緒に買った覚えがある。その頃にはもうレコードコレクターになってましたね。
C 完全に洋楽志向だと思うんですが、日本で注目している(していた)バンドがあれば。
日本のグループでは果然ルースターズでしたね。勿論初期もいいけど"DIS"、"GOOD DREAMS"、"PHY”がリアルタイムで思い入れが強い。ニューウェイブ少年だったのでEDPS、スターリン、じゃがたら、戸川純も好きでした。あと当時デボネアは"印象深かった。”Through the street"の7インチを初めて聴いた時はこれは日本版シャックだと。こんな良いグループが日本にいるんだと思いましたね。"Always there"は特に瑞々しくてよかった。ワンダーリリースのも持ってましたよ。同じくビロードやペニーアーケードの7インチも素晴らしかった。ただ純粋にネオアコという意味では、彼らのあの7インチが日本で最初のネオアコのレコードなのかもしれないですね。いま注目しているグループについては特にないです。
フリッパーズ・ギターについてどう思ってました?堤田さんの中での彼らの位置づけを教えてください。
まずK.O.G.Aの古閑君からオリジナル・ラブのファーストを入手して驚き、その後彼らのファーストアルバムがきて、なんて完成度の高いサウンドなんだっていう感じでした。そしてまたも古閑君からヴィーナスペーターというバンドをはじめたということでその周辺のグループを集めたカセットテープを貰いました。デビュー前のブリッジやルーフ、マーブルハンモック、バチェラーズとかボーイズショートヘア、あとネオアコ調のヴィナペとかZEST周辺のグループを集めたオムニバスカセットで。まさに宇田川セントリックな渋谷系前夜のような内容だった。自分も遠方福岡からZESTには行ってたしヴィナペの古閑君からも周辺の人を紹介してもらったけど、そのセンスにはびっくりしましたね、東京は違うなと(笑)。僕らは当時スミスとかUKのストイックなギターバンドを目指してたけど、彼らはジャズ、ボサノバやジャグを取り入れていた。ダンヒックスとか聴いてたんじゃないかな。結局僕らは新宿のヴィニール・ジャパンからデビューしてインディーアンダーグラウンドに進んでいったけどメインストリームのシーンは渋谷系やサバービアに進んでいったのかなと思います。大阪にもマンチェシーンがあってスカリーズのメッカみたいな洋服屋もありましたよね。福岡ではジャングル・エキゾチカというレコ店がクラブイベントやライブをオーガナイズしてたけど、グループだとAUTOMATIC KISSレーベルで一緒だったインスタント・シトロンやポエティカル・コインシデンス(ex.COLORFILTER)位しかいなかったかな。でもその頃、福岡の天神にも渋谷ライクな次世代シーンが確かにありましたよ。
D 前身のコロバ・ミルク・バーについて
結成当初からプロを意識してはりました?
プロは意識していなかった。そのコロバ・ミルク・バーは、ジョニー・ディー鶴田君、サイカゴーゴーの福田君の三人でやってました。ゴダールか何かの映画のスリーブでカセットを2本?(50本限定)発売した。音はスミスとかジザメリな感じ。勿論グループ名は”時計仕掛け”から拝借。その後、同名のUKネオサイケグループが出てきてグループ名を変えた。そういえば古閑君が下北でKOGA MILK BARというお店をやってるようなので今度行ってみようかと思ってます。
下田さんは、途中から加入でしたっけ?彼が作ったデモテープを堤田さんが聴いて、それで一緒にやろうと声をかけたのが始まりだったような。違ってたらごめんなさい。
その頃数少ないネオアコの友人から下田君のデモを聞かせてもらった。Josef Kのような感じだったかな、すぐにそのセンスの良さがわかったのでその友人から紹介してもらった。
下田さんはその当時からジャズコーラス使いのキラキラサウンドでした?堤田さんからみた彼の魅力について教えてください。二人ともめちゃめちゃ女子にモテたんとちゃいますか?
下田君のギターはキラキラでしたね。UKニューウェイブ直系の王道的ギター。音もさることながら曲やアレンジのセンスもすごく良かった。もてたかどうかについては、ライブあまりやってないしそういうのはなかったですね。純粋に音が好みだという人が多かったかと。
繊細でメランコリックな下田のギター / 新宿アンチノックにて
新宿アンチノック カルーセルのエリザベス、ヘヴンリーのアメリアと
E これも堤田さん目線で、ジョニー・ディー作品の中でベスト3曲を選ぶとすると?また全曲作詞は堤田さんだと思うんだけど、歌詞を書く時に心掛けていたことなどもしあれば、
好きなのは、Mortorbike loves you、I'm falling down again、 Hey Gentle girl。歌詞についてはメロに合う単語をはめ込むような感じ。
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F 初めて買ったレコードは何でした?また学生の頃に影響を受けたバンドや音楽について教えてください。
中学生の時にYMO "BGM"を買ったのが最初のレコード。追ってファミリーの高橋幸弘”音楽殺人”、大村憲司”春がいっぱい”、クラフトワーク"Trans Europe Express"、デヴィッド・ボウイ”Low”とか買っていった感じですね。特に坂本龍一の「サウンドストリート」(ラジオ番組)には影響を受けました。UKニューウェイブ、エレポ、前衛音楽や民族音楽。ON-UやUKレゲエなんかもこの時に聴いた。戦メリ時のボウイやジャパンのゲスト出演とかもあった。あとデモテープ特集は楽しみにしてましたね。番組が終わったら続けて「クロスオーバーイレブン」でポピュラーな音楽を聴き、最後に「ジェットストリーム」で締めて寝るという(笑)当時の情報源はラジオと雑誌と友人。高校生の時に友人からセックス・ピストルズとスターリンのレコードを借りたのがきっかけでパンクとかハードコア、末はポジパンに走った。そしてエコバニ、バウハウス、キュアー、ニュー・オーダーとか所謂UKニューウェイブに出会いベルベッツとかドアーズやバーズなんかにバックしていくという典型的パターン。エコバニから'60sを掘り下げた感じですね。同様にジャム、スタカンからモッズとか、クラッシュやスペシャルズからスカ、レゲエという風に。同年代は大体こんな感じじゃないでしょうか。
G 音楽以外の趣味は?お気に入りの映画や本、アート作品など音楽以外で影響を受けたものがあれば教えてください。
当時は典型的ニューウェイブ少年だったのでその辺りの人が好きなもの。基本はレコード収集でしたが、洋服が好きでファッションはモッズ(モッドではない)時代が長かったですね。最初はパンクでジョージコックスのラバーソールやドクターマーチン、それからロークのキルトタッセルを履くようになった。スミスの影響で古着も買いました。雑誌だとロッキンオン、ドール、ニューズウェイブ、東のフールズメイトに西のロック・マガジン(合掌)という恐ろしくマニアックな本もあった。で、表面だけをなぞってシュールレアリズムやカミュ、カフカとかの実存主義、アートならアンディー・ウォーホルとかよくあるパターン。漫画ならつげ義春とか。鳩山郁子の"青い菊"なんかはまさに前衛的ネオアコの世界。スタイルだけでしたね(笑)。
H 当日(うん十年ぶりに)ステージに立ってみて感じたこと。盟友、下田さんとの再会。あれから数カ月経ちましたが あの日を振り返って思うことがあれば。
まずはこれをきっかけに下田君はじめTWGのメンバーに会えて嬉しかったですね。もうライブとかしないと思っていたけど、モーターバイクのギターイントロを聞いた瞬間、あの当時に戻っていきましたね(笑)あと数年来会っていない人にも再会出来てよかったです。ライブ自体は、当時のちょっと陰鬱なUKニューウェイブのあの雰囲気を出したかった。もしそれが感じてもらえていたら個人的には満足です。
I 最後に今後の活動予定について教えてください。
下田君とまたやろうということでプランを練っているところです。あと元ジョニー・ディーの鶴田君や田尻君ともデモ制作中です。いずれも2019年なにか形に出来ればと思います。