ポスト ネオアコ薔薇の時代
『ジョニー・ディーについて書こう』
2018年5月6日
ゴールデンウィーク休暇を利用して熊本県在住の下田氏を訪問する。知る人ぞ知るジョニー・ディーのギタリストでありソングライター、同氏と2泊3日 寝食を共にする中で本原稿作成のための資料を集める。これまで語られることのなかったポスト ネオアコシーンの立役者、ジョニー・ディー。概ね ファン視点になるとは思うが、その活動の軌跡をここに記す。
尚、熊本弁のままでは 活字による再現が困難であると判断、ここでは標準語に改編されている。
私事になるが90年代初頭、ロンドン近郊 イングランドの南東部に位置するサリー州で生活していた。名目は語学留学だが、連日ライブハウスに足を運び、お宝を求めてはレコード店を梯子していた。かなり満ち足りた毎日だったが、日本の音楽に関する情報だけは、完全に枯渇していた。唯一の情報源は日本の友達が送ってくれるカセットテープや音楽誌。当時 ソロに転身したばかりの小沢 健二やコーネリアス、シトラスに暴力温泉芸者 いわゆる渋谷系と呼ばれる楽曲がそろっている中、群を抜いて愛聴していたのがジョニー・ディーの"Love Compilation"だった。ロンドン市内に遊びに行く時は、ウォークマンに入れて道中 繰り返し再生した。今でもこのアルバムを聴いて思い出すのはBRの車窓から見たウォータールーまでの景色だ。
>>はじめて買ったレコードは何なの?
中学の時のYMOかな。高橋幸宏、矢野顕子とか細野晴臣、立花ハジメにムーンライダーズ…いちばん衝撃を受けたのが高橋幸宏の『音楽殺人』なんだ。
>>いきなりスタート地点から洗練されてるなー。僕の周りには、高橋幸宏聞いてる中学生なんていなかったよ。じゃ、ギターをはじめたのはいつから?
ちょうどその頃、TOKAIの黒いストラトを買ってもらった。シングル2つにハムバッカーのハードロック使用。友達に弾けるやつがいたのでちょっと教わってあとは自力で。
>>テニスでインターハイ出るほどの腕前でギターも弾けて…。めちゃめちゃモテたでしょ。彼女とかはいなかったの?
チェリーでした(笑)
>>学生の頃の音楽活動は普通にコピーバンド?
そう。ちょうどボウイ(日本の)とか流行ってて その流れでルースターズとかARBの曲をコピーしてた。『悲しき3号線』とか。オリジナル曲も書いたし地元のライブハウスにも出てたよ。メンバーのひとりが東京の大学に進学することになってバンドは自然消滅したけどね。
>>ジョニー・ディーはどういった経緯で結成されたの?
バンドの解散後もキュアーとかカメレオンズが好きで、それ風のネオサイケな曲を書いてたんだ。大学のサークルでは、堤田さん鶴田さんがKorova milk bar というバンドを組んでて。僕のデモテープを偶然耳にした堤田さんから一緒に音源作ろうと声がかかったんだ。
>>みんな同じ音楽サークルだったんだね。
そう、サークルの先輩には鶴田さん(ジョニー・ディーのもう一人のギタリスト)、福田さん(サイカゴーゴー)がいた。ビナぺの古閑さんは熊本出身で彼らの友人だった。僕らをvinylに紹介してくれたのも古閑さんなんだ。
>>で、はじて作った曲が「モーターバイク』?
うん。宅録で重ね録り。ドラムもリズムマシン。僕が書いた曲に堤田さんがメロディーをのせて詞を書いて。
>>実は、僕がいちばん思い入れの強い曲はB面収録の"I´m falling down again"なんだ。そのモチーフになってるのは、やっぱりキュアーとかフエルト?
そうだね。当時目指していたのは、オレンジジュースのカッティングとサビのところでジョニーマーのギターが炸裂みたいなの。
>>あっ それわかる!キラキラしたギターの後ろでアコギがシャカシャカ鳴ってるよね、些事かもしれないけど僕はそこら辺に作り手のこだわりというか心意気を感じたんだ。ほんと絶妙なバランスでアコギがかき鳴らされるよね。
あれ、アコギじゃないんだ。
>>うそ!
エピフォンのエンペラー。エンペラーの生鳴りをマイク録りしてドブロギター風にしてみた。ジョニー・ディーでの僕の楽曲の大半はこのフルアコを弾いてる。当時のエピフォンは国産。ものすごく有能だったんだ。今みたいにアンシュミとか無いし、宅録でのマイク録りは困難を極めた。色々試した結果ミキサーに直付けして録音したらあの音になったんだ。
>>すごいね。手作り感はあったけどそれも含めて演出だと思ってた。
※下田氏の所有するエンペラーとリヴィエラ
vinyl から7インチをリリースしてライブする必要もでてきた。そこでベースの田尻さん、サイカゴーゴー福田さんとか入ってアルバム"Love Compilation"の製作に取り掛かかるんだ。
>>なるほど、ライブのイメージがまったくできないんだけど どんな感じだったの?
演奏は決して褒められたもんじゃなかったね。バンドというよりユニット色が強かったし。もともと僕はバンド志向だったので そういう面ではしばしば不満に思っていた。ライブではビジュアル的にリッケン持つこともあったけどメインはやっぱりエピフォンのエンペラー。このギターがサウンドの要になっていることは確か。
>>ライブでは、たしかチェスターフィールズと共演してるよね。
彼らの来日公演の時のフロントアクト。デイブさんからギターの裏にサインもらった。いい人たちだったな。タバコあげたら喜んでたよ。確かマイルドセブン。
>>彼らの楽曲"Ask Johnny Dee"ってジョニー・ディーのJohnny Deeなの?
ちがうよ。Johnny DeeってのはNMEの記者の名前。堤田さんが彼らからバンド名を拝借したんだ。福岡では他にテレビジョン・パーソナリティーズとも共演した。大好きだったので生で会えてほんと感動した。ダン・トレーシーにワウペダル貸してくれって言われて貸したのを覚えている。
>>東京でのライブは?
新宿アンチノック。vinyl がカルーセル(タルーラ・ゴッシュ&レイザーカッツ)をよんだ時のこれも前座。みんな優しかったよ。
>>当時メジャー新出の野望はなかったの?
メジャーを意識して日本語曲とか作ってみたけどよくなかったな。レコード会社の人達とも知り合ったけど、やっぱり野望がないと無理だと痛感した。(笑)ネオアコというある意味制限の多いジャンルで行き詰まってたのも事実。CDアルバム"Love Compilation"にしても僕としては寄せ集めの一貫性ないものが出来上がった感じ。曲構成変えたアナログアルバムは多少マシかな。
>>あとから出たやつ!当時ロッキンオンの広告で見かけてカムデンのVinyl Japanまで何度も足を運んだよ。まだきてませんか〜って。
>>ジョニー・ディーの解散とダルメシアンズ結成の経緯を教えて
のちのleftbankレーベル山口さん知り合って、名古屋で堤田さんと僕の二人でイベントすることになった。当時は二人とも東京にいたんだ。ところが東京から名古屋に移動する当日 堤田さんから急な仕事が入って行けないと連絡があって…
頭ん中 真っ白になった。それでも山口さんの支えもあって、協議の末 イベントは予定通り実施すると。名古屋へと向かう新幹線の中で歌詞を覚えた。ライブでは人生初のシーケンサーをバックにリッケンを抱えて一人舞台決行だよ。これを機にダルメシアンズを始めることになるんだ。バンドとして活動するためにメンバーも集めた。これから山口さんには大変世話になる。この名古屋イベントを機にエアーズ伊藤くんとも知り合う。
>>京都ネオアコサミットの時も堤田さん抜きでモーターバイクやったんだよね。アルビーの小野君が代わりに歌って。堤田さん、会いたかったなぁ。
そう、あの時も都合で来れなくなったんだ。主催者や楽しみにしていた人達に本当に申し訳なかった。ただ、いいイベントではあったな。
>>いや、ほんといいイベント。下田さんもそうだけどあのイベントでブルーベリーの中村さんや小野君とも知り合えたし。わざわざ有休とって行った甲斐があったよ。堤田さん、僕は面識がないので下田さんからどんな方かを教えて下さい。
最初の頃の僕の楽曲はオケを作り込んで、堤田氏がメロと歌詞をつける手法でやってたんだ。彼のメロディメイカーとしての才能は素晴らしかったし流行には敏感でセンスも良かった。また色々と良い音源を教えてもらった。楽器はできなかったけど、嗅覚はすごかったよ。
>> 下田さんにとってジョニー・ディーのお気に入りの楽曲をひとつあげるとしたら?
love is cruel gameかなあ。我ながらアレンジ、ギターが素晴らしい、と思う。
>> 当時よく引き合いに出されたと思うけどフリッパーズギターについてどう思ってた?
1stは衝撃だった。2nd以降〜コーネリアスに至るまで小山田君はクリエイターだなあと羨ましく思うよ。ただコーネリアスは洒落てて小難しいのでちゃんとは聴いてないんだけどね。
>> 最後に、個人的に大ファンだったんだけどコーラスの女の子がいたよね。Best kisser in the world! Best kisser in the world!の子。彼女について差しさわりのない程度に教えて!
彼女はサークルの後輩でケイト・ブッシュを完コピ出来るくらいすごく歌の上手い子だったよ。あまりに上手すぎるんで、motorbikeとかあのくらいのライトな入れ方がハマったなと。かかわったのはレコーディングだけだな。
下田氏は、お酒を飲まない。初対面の時も京都ウェーラーズクラブのカウンターでひとりジンジャーエールを飲んでいた。開演までの数時間は、延々と音楽の話で盛り上がったのを記憶している。ライブハウスで遭遇した音楽好き通しが交わすよくある光景。お洒落で控えめなところはイメージしていた通りだったが、同時に優れたクリエイターのみが持つ狂気といったものが感じられなかった。決してオーラがないとかカリスマ性がないという意味ではない。そうしたステレオタイプな狂気を超越したところでこの人は飄々と生きているんだろうなというのが辿りついた僕の結論。9月のライブが楽しみだ。
下田氏が率いるthee windless gatesについては以下のリンクにクラウドベリーレコード2011年のインタビュー記事が掲載されています。
文 (text):広瀬 陽一 (yoichi hirose)
〜johnny dee discography〜
▶ motorbike loves you 7" vinyl japan PAD 5 // CDEP TASKCD36
▶ love compilation CD vinyl japan MASKCD 38 1993
▶ love compilation LP vinyl japan ASKLP45 1996
▶ 1995 unreleased ep CDEP sofa records 2001
▶ chesterfields/johnny dee - let's split! CDEP ASKCD35 1994
"I Wanna Bang On The Drums" "Love Plays Cruel Game" 2曲収録♪
compilation 参加作品
▶ VA - Automatic KISS RECORDS FUTURE CHIC! CD automatic kiss records scene-1 1993
"hey gentle girl" "why I like a max eider" 収録♪
▶ va - what do you want a Japanese to do again? CD ASKCD 36 1994
"motorbike loves you" 収録♪
▶ VA - Do The Nuclear Tests In Paris And Beijing CD MASKCD 58 1995
"I Wanna Bang On The Drum" 収録♪
▶ VA - Whirl-Wheels CD shelflife records LIFE001 1996
"Here Comes Another Day"収録♪
▶ va - automatic kiss records ten years on CD 2001
"hey gentle girl" 収録♪